それは、いまでも、ビートのモンスターだ

このテキストは、「IIDX20周年お祝いWebアンソロジー」の参加コンテンツです。

1st style

稼働が予告されたその日、俺は神奈川県内某所のゲームセンターにいた。なにしろ1プレイ300円もするそのゲームが100円でできるかもしれない。そんな期待があってか、そのゲーセンには行列ができていた。

当時は学生時分であった。1日潰すつもりで朝からゲーセンに詰めていたが、交通費も馬鹿にならないくらいの移動をしてきている。元は取って帰りたかった。

何十人と並んでいたその先にあった筐体。遠すぎてよくわからなかったが、いったいいくらで稼働するのか。ゲームの内容はもうみんな知っているであろう。ほぼ全員の興味はそちらに向いていた。

長い長いセッティングのあと、その筐体に表示されたのは「CREDITS 0/2」の文字であった。

遠くから駆けつけ、並びに並んで、結局200円という可もなく不可もない価格設定に落ち着き、結局1回遊んで帰途についたのをよく覚えている。

その1回。1回目のプレイでほぼ全員が頭を悩ませる問題が、もうひとつあった。

左と右、どちらでプレイするか。

ビートマニアと違い、左右のプレイサイドでターンテーブルの位置が異なるこの筐体に、戸惑う者が続出したのだ。

行列の先で筐体に上がるプレイヤーを見ていると、多くのプレイヤーが慣れた右側を選択していることは明らかだった。

左か、右か。直前まで悩みに悩んで出した答えは、左だった。

他人と同じことをしていても面白くない、ならば俺は左を選ぼう。そんな理由だったはずだ。

当然だが、最初はとても戸惑った。左手で操作することそのものに慣れないターンテーブル。左利きの自分でさえもなかなか慣れず、ボタンの間隔が変わったりしていることもあって相当にストレスだった。

しかし決めたことは貫かなければ。無意味かどうかはともかく、こういうことにはとても頑固な自分がそこにいたのだった。

substream

IIDXが地元に入荷してほどなく、DDRとの連動が発表された。

稼働当初は300円だったIIDXも、このころには200円に落ち着き、遠征しなくても普通に遊べる状況になっていた。

ゲームを通じて知り合った仲間と、この「クラブバージョン」で遊ぶことは俺にとっても仲間にとっても嬉しいことだった。自分はIIDX側で遊ぶことが多く、あまりDDR側を遊ぶ機会に恵まれなかったものの、仲間との時間は他の何にも代えがたいものだった。

自分が楽しいのもそうだが、やはり他人を楽しませてこそ、自分の存在が活きるのだとこのとき痛感した。いままで生きてきた中でも、ネタを提供する側に立つことで仲間が増えた、その原点になる出来事のひとつだといえる。

IIDXがゲームとしてまだまだ苦戦していたとは思えないくらい、その存在は大きかった。

2nd style

この頃になるとようやく「らしい」曲が収録されるようになって、徐々にプレイ頻度が上がっていった。また、近場に100円で稼働している店ができたため足繁く通うことになる。

そんなある日その店でIIDXに並んでいると、たまたま中学の同級生と再会することになる。この出会いが、その後山梨に月1ペースで通うことになるほどの縁をつなぐことになるのだが、それはまた別の話である。

この頃から、難度の高い曲が入ってくるようになり、クリアがおぼつかない曲がちらほら出てきた。当時からインターネットランキングには積極的に参加していたのであるが、それほど高難度の曲を要求されないこともあって、回数をこなせばいいスコアが出せるようになっていた。

プレイスタイルもクリアよりスコアを狙う形にシフトしていき、徐々にではあるがついていけない曲が出てくるようになってしまった。

3rd style

おそらく、最も輝いていたシリーズであり、最も遊びこんだシリーズである。曲が大幅に増え、ビジュアル面も強化されたため新規のユーザーも取り込み、盛り上がってきたころだと言える。

そして、地元のゲーセンがついに100円で稼働させるようになり、プレイ頻度はさらに上がっていった。地元ゲーセンにライブモニターがいくつか設置されるようになって、すごいことをやっているプレイヤーには人だかりができた。

遊び方も広がり、とうとうダブルプレイに手を出すようになる。料金が下がったことから、練習ははかどり大規模大会にも挑戦するようになっていった。

まさに黄金時代だった。高難度のアナザー譜面をこなせる腕はなかったが、自分のやりたいスタイルで楽しく遊び続けたシリーズとなった。

しかしこの頃になると、ゲーム画面を映し出すモニターの表示が薄くなり、見づらくなる店が出てくるようになる。メンテナンスには知識と資金が要求され、なかなか修理に踏み出せない店が大半となっていた。

さらに、厳しい出来事が続いた。

4th style

地元に4thが入荷しなかったのである。この出来事は、プレイ回数を激減させるに十分であった。稼働当初に隣町のゲーセンに行って何度か遊んだが、あまりに混雑していた。

就職活動や論文執筆など、大学生活も大詰めとなって更にゲーセンが遠のいた。そのため、初期シリーズの中では思い入れがあまり強くない作品となっていた。

5th style

地元に5thが入荷したのである。しかしモニター部分の劣化が著しく、プレイを重ねるにはあまりに厳しい環境だった。

またポップンミュージック6の稼働が重なり、インターネットランキングへの注力をしていたことから、こちらもIIDXのプレイ回数を絞らざるを得ない原因となっていた。

就職したこともあり、主戦場は地元から会社最寄り駅、乗換駅へと移っていったのだった。

そして、あるとき立ち寄った途中駅のゲーセンが、個人的に大きな出会いをもたらすこととなる。

6th style

その人物は低難度帯のプレイを得意とし、俺とエキスパートで常にいい勝負を繰り広げていた。

宿命のライバルの誕生である。他に類を見ないレベルで切磋琢磨し、お互いを尊敬し、また許しあった。

インターネットランキングでは二人で行う部門にもこのコンビで積極参加した。いつしか、その相手を「弟」と呼ぶようになっていた。

そうして広がった仲間たちとは閉店後まで語り合った。あまりに楽しすぎた。

そんな仲間たちとの交流は、2年ほど続くこととなる。

8th style

その「世界」に入り浸るようになって1年ほどが経過していた。

8thの稼働日は会社を定時で抜け出し、一直線に仲間たちの待つ店に向かった。ああでもない、こうでもないとひたすらに盛り上がった。

その後も足繁く通い、笑いあい、切磋琢磨し、腕を磨いていった。

8thは稼働期間が長かったこともあり、おそらく3rdの次に遊んだシリーズと思われる。楽曲の充実度もとんでもなかった。

永遠とも思えた8th。仲間と過ごした時間も、格別のものだった。特に「弟」とは本当の兄弟のように何でも言い合った。実の性別は違えど、最高の仲間だった。

余談だがその「弟」と想い人は俺の後押しで結ばれた。末永く、幸せに。

9th style

しかしその楽しい時間にも終わりはやってきた。アーケードIIDXの暗黒期と言っても過言でない、厳しい時期の到来であった。

聞きかじりの知識で申し訳ないが、基板がWindowsベースのものに切り替わり、操作系とはUSBを介してつながることとなった。そのUSBドライバが不出来で、入力遅延を引き起こしていたのである。しかも、そのタイミングは不定期に揺れ動いていたのだ。

判定がぶれ、スコアが安定しない。

音ゲーとしての根幹を揺るがす変更に、多くのプレイヤーが戸惑った。そして、俺も例外なく、厳しさを覚えていた。

あまりにも苦しいこの変更に対し、IIDXからしばらくの間脱落することとなってしまったのだった。

IIDX GOLD

そんな隠居状態を続けていた俺に転機が訪れる。IIDX GOLDの登場であった。

HAPPY SKYの頃から少しずつではあるが遊ぶようになっていたものの、かつてのように足繁くゲーセンに通うようにはなっていなかった。

IIDX GOLDでは、新筐体の出荷が行われていた。その筐体で遊んだプレイヤーが驚きの声を上げる。

スコアが、出るのである。

そのスコアは、とてもそれまでの筐体で出るような代物ではなく、オンラインアップデートである改修が入ることとなった。

こちらも聞きかじりの知識で申し訳ないが、USBドライバの更新があったのではないかと噂されている。操作系と基板をつなぐ入力信号が安定化し、遅延は若干あるものの判定のぶれが起こらなくなったのである。

これは、クリアよりもスコアな俺にとっては僥倖であった。

そして、これをきっかけに、クリアするための力を向上させるための猛特訓をすることになる。アーケード版はやりつつ、家庭用でひたすら練習を重ね、使える指の数を増やしたのである。

この効果は絶大だった。万年6段で満足していた俺だったが、8段が取れるようになったのだ。難易度が12段階になってからというもの、Lv9で苦労していた自分がLv10でも渡り合えるクラスまで成長したのだ。

このことは俺をゲーセンに駆り立てるに十分だった。もっとうまく、もっと楽しく、遊べるようになりたかった。

DJ TROOPERS

はじめてのONE MORE EXTRA STAGE。

今まで高嶺の花だったそいつにチャレンジする機会を得たのは、一時期ゲーセンが消え、IIDXが絶滅していた地元に彗星のごとく入荷したDJ TROOPERSだった。

HYPERでも到達できるよう緩和されたその条件を満たし、緊張で震える手で集中力を高め、挑んだことが今でも忘れられない。

ゲージギリギリで突破し、完走したときの喜びは大きかった。自信につながった。

これこそが現在までIIDXを続けていられる成功体験のひとつといえるのだった。

HEROIC VERSE

そんな経験から12年の時を経て、未だ入れ込んでいるゲームとなったIIDX。腕前は年齢とともに落ちては取り戻しを繰り返していて、Lv10である程度戦えるレベルを維持するのがやっとという状況ではあるし、前作から8段が高難度化したため7段に甘んじていたりする。

それでも、40歳を超えても楽しく遊べるこのゲームを作り続けてくれるスタッフの皆さん、置いてくれるゲームセンターのオペレータの皆さんには本当に頭が下がる。

IIDX、まだうまくなる余地は残していると思っているので、なんとかこれからもまだまだ遊んでいきたい所存。

21年前に生まれた「ビートのモンスター」は、さらにLIGHTNING MODELという新しい力を手にして進化を止めることを知らない。

30作、40作と進むにつれどのような進化を見せてくれるのか?

雄々しく、強く、戦う相手として、期待を裏切らないことを望む。

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